ブログを書きはじめたはいいものの、二つ三つ記事を書いたらなんかやる気がなくなっちゃった。まあとりあえず今日はいいか。
よくあることですよね。何を隠そう、他ならぬぼく自身、もう数えきれないくらいこんな経験をしています。まあ、書き始めるだけでめちゃ偉いし、更新が止まってもまた始めたらいいだけなんですけど。と、やさしく自分を労わりつつ、せっかくだから続けていきたいですよね。
「最初からぶっ飛ばさない」こと。そして、「自分で決めたペースを守る」ことが大切になってきます。
三日坊主(ぼくの場合三日続けば御の字)というのは、やる気がないというよりは、ありすぎるせいで起きる現象だと思っています。校内マラソン大会で、スタートダッシュにすべてを賭けるお調子者がいましたよね。彼らは一瞬の注目を集めますが、すぐ後方へと消えていきます。個人的にはこういう人も大好きなのですが、ここは冷静になってペースを守り、上位入賞を目指しましょう。ブログ執筆は、短距離走ではなくマラソンです。
やる気に頼らない
自己啓発本なんかを読んで、「よし、オレは今日からブログを書くんだ!」となっているときは、アドレナリンが出て、やる気に満ちあふれているものです。ぼくはこれを、「今日から俺は状態」と呼んでいます。「今日から俺は状態」になると、根拠のいっさいない全能感に包まれ、「つっぱることが男の〜♪」みたいな気分になります。アホっぽいですが、まあこれ自体はとてもいいことです。
問題は、アドレナリンをはじめ脳内で分泌される「やる気ホルモン」は長続きしない、ということなのです。つまり、なにかを始める最初の一歩に、瞬間的なやる気(アドレナリン)の力を借りるのはいいのですが、継続するためには別の工夫が必要、ということになります。
ペースを決めて、それを守る
まず最初に、1日に書く文量の上限と下限を決めてしまいましょう。無理のない範囲で、まずは継続することを最優先にノルマ設定していきます。
ぼくは1日に1記事と決めてペースを守っています。調子よく1記事書きあげても、次の記事のアイデアをメモとして書き出すにとどめ、その日の執筆は終わりにします。実際はまだ書き慣れず、手が止まって苦しいことのほうが多いのですが、まれに調子がよくて、いくらでも書けるんじゃないかと感じる時があります。「すごいすごいぼくってやっぱりすごいなー」と気持ちよくなってしまうのですが、ここで調子に乗ってはいけません。執筆はストップして、散歩なり読書なり、ほかの好きなことをします。実感として、こうしてペースを守ると決めていることが、ブログの継続につながっているように思います。
別に焦る気持ちは当然なのです。繰り返しますが、やる気があるのは悪いことではありません。大切なのは「自制心」です。調子が良くても悪くても、最初に決めたノルマを淡々とこなしていく。なんとなくやる気がないというときに頑張る、というのはわかると思いますが、大事なのは、調子がいいときに調子に乗らないということです。
最低でも1ヶ月単位でモニタリングして、ゆるく続けていきましょう。その上で、もう少しペースを上げても大丈夫だと判断したら、そのときに量を増やしましょう。
村上春樹の小説の書き方
作家の村上春樹さんも、長編小説を書くときには自分でペースを設定して、それを守りながら淡々と書き進めていくそうです。ポイントは、調子のいい時でも決めた量以上には書かないということ。ペースを守ることで書くことにリズムが生まれ、無理なく書き続けられるようです。ランナーとしてマラソンも走る村上さんならではの方法だと思います。
長編小説を書く場合、一日に四百字詰原稿用紙にして、十枚見当で原稿を書いていくことをルールにしています。僕のマックの画面でいうと、だいたい二画面半ということになりますが、昔からの習慣で四百字詰で計算します。もっと書きたくても十枚くらいでやめておくし、今日は今ひとつ乗らないなと思っても、なんとかがんばって十枚は書きます。なぜなら長い仕事をするときには、規則性が大切な意味を持ってくるからです。書けるときは勢いでたくさん書いちゃう、書けないときは休むというのでは、規則性は生まれません。だからタイム・カードを押すみたいに、一日ほぼきっかり十枚書きます。
村上春樹(2016)『職業としての小説家』新潮文庫
前提として、ブログで大切なのは続けることです。いい記事を書くことももちろん大切ですが、単発で終わってしまっては意味がありません。瞬間的にいい記事を書いて燃え尽きるより、書き続けていく中でじわじわと記事の質も上がっていくというのが理想です。長い目で見ましょう。ペースを守って書くことで、長期的にはより大きな成果をあげることができます。
ほなまた!